2012年 12月 05日
百済の里
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ひむか神話街道を通って、椎葉村を縦断した私達が次に向かったのは「百済の里」として知られる美郷町南郷区(旧南郷村)です。
今夜は、飛鳥時代に滅亡した百済から、王家の一族が流浪の末たどり着いたという伝説の残されている美郷町南郷区をご紹介します。
まずは、百済の里のシンボルとも言える神門神社です。国の重要文化財にも指定されています。
次に訪れたのは奈良の正倉院を寸分の違いもなく再現したという「西の正倉院」です。
こうしてみるとその大きさがお分かりいただけると思います。
内部は貴重な文化財を収めた博物館となっています。
次に訪れたのは、百済最後の王都となった大韓民国の古都「扶餘(プヨ)」の王宮跡に建つ、元国立博物館の「客舎」をモデルに、日韓交流のシンボルとして造られた「百済の館」です。
瓦や敷石は、韓国から取り寄せられ、梁や軒を埋め尽くす赤、青、緑といった極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるものなんだそうです。
ここでは、韓国の民族衣装「チマ・チョゴリ」の試着も出来るそうです。
旅の途中、南郷温泉「山霧」にも立ち寄りました。
ゆっくりと温泉を楽しんだ後のランチには「美人の湯」の源泉で作ったこんにゃくづくしのお料理「美人こんにゃく御膳」をいただきました。
韓国から遠く離れた宮崎の地に息づく百済文化..ぜひ、未来の人達にも受け継いでいってもらいたいものですね。
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瓦や敷石は、韓国から取り寄せられ、梁や軒を埋め尽くす赤、青、緑といった極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるものなんだそうです。
ここでは、韓国の民族衣装「チマ・チョゴリ」の試着も出来るそうです。
旅の途中、南郷温泉「山霧」にも立ち寄りました。
ゆっくりと温泉を楽しんだ後のランチには「美人の湯」の源泉で作ったこんにゃくづくしのお料理「美人こんにゃく御膳」をいただきました。
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by keikansan
| 2012-12-05 23:30
| 旅行